「機が熟す」とは柳生新陰流の伝書『兵法家伝書-活人剣・下』に、「機とは、即ち気(心の動き、状態)」とし、「功をつめば機が熟して、わが躰にとけひろごりて、自由をはたらく」とある。「功」とは修行、即ち、修行を十分につめば心の動きが完成し、その心が全身に広がり自由な働きをするようになる。つまり、柳生新陰流のいう「機が熟す」とは十分な働きをするための心の在りようを示している、一方、現在でのこの言葉の使われ方は、物事を始める時のきっかけやきざしの事を表し、柳生新陰流の己の心という主観的なものより、社会情勢や色々な場面での大勢を見るように客観的な要素に主眼をおいている点が大きく違う。

、、、で、あるが、今『奇皇后』で『時が熟した」と反乱のタイミングが来たことを言っている。NHKの番組担当者はチェックしていないのか。
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