プロフィール
月曜日の夜からNHKのBSは、アカデミー賞受賞映画の特集になっています。今年は冬季オリンピックの関係もあって、授賞式の開催が繰り上がったのですけれども良い映画ばかりを放送しているというのにもったいない感じもします。 スポーツに関心のない視聴者には、良い機会かも知れません。
今夜は1942年度アカデミー賞受賞作品の「ミニヴァー夫人」でした。 監督はウィリアム・ワイラー。脚本は、「心の旅路」の作者、ジェームズ・ヒルトン。 アメリカMGMの作品ですけれども、イギリスの田舎町に住む一般的な女性の日常を淡々と描いています。「ガス灯」は素敵な映画よと母に教わっていたので、「心の旅路」などはタイトルにも惹かれて好みの映画でした。内容は良く把握できていない面もあります。
「ミニヴァー夫人」は第二次世界大戦中の物語で、イギリスはヨーロッパに海峡1つ隔てているだけですから戦闘機が直接、空襲に向かっていたんですね。出撃の時に友達の家の近くを飛ぶ時には、戦闘機のエンジンを噴かせて合図をするという場面があります。
日本でも同じようなことがあったそうです。熊本の東雲楼は、とても有名な遊郭でした。わたしもゆかりがあるので昔話を聞かせていただくこともあります。もし、今でも東雲楼があったのなら働いていたことでしょう。 神風特攻をされる若い兵隊さんが必ず夜を過ごされたと言います。そして出撃で鹿児島の知覧に集合されるのですけれども、その前に東雲楼の上空を何度も旋回したり、羽根を振って合図をされてから向かわれたと言います。
この映画「ミニヴァー夫人」では、空を飛ぶ飛行機の爆音に耳を懲らすシーンが度々登場します。わたしも小さい頃は旅客機の音を追っかけていたものですけれども、いつしか余り気にかけなくなったのは少し寂しい感じがします。この映画の中でも、次第に戦闘になれていく様子が描かれていて、地下壕の中で爆音、爆撃の音がしているのに編み物をしているミニヴァー夫人の様子には怖いものさえ感じました。 子どもが泣き出して我に返るんだけれども、地下壕の中でじっと子どもを抱きしめている以外に出来ることはないですよね。
第二次世界大戦中にはたくさんこうした映画が作られました。 銃後映画と訳することもある、ホーム・フロント映画の代表作です。 海峡を越えてやって来た兵士が、夫人を脅かす場面では冷静に電話で警察に通報したりと家庭を守る女に強く暮らすように言っているようです。
爆音のしない時に、女性たちが着飾ってパーティを開いたり楽しんでいるのは日本では公には出来なかったことでしょう。
地下壕を出て、爆撃の跡が残る家で無事だったピアノを弾く少女が演奏したのはメンデルスゾーンの「結婚行進曲」でした。
「大事な時間だからこそ、おびえて暮らしていたくない。」・・・印象的なメッセージです。
戦意高揚のための映画ですけれども、たくさん作られた中でも戦争の場面を他のものに置き換えてみることも出来るようなこの映画、言いたいことは何なのでしょう。少女がピアノを聞かせたあとでミニヴァー夫人が言った言葉は、色々ととらえることが出来そうです。
映画にはこれといった終局はなくて、教会で詩編91番が読み上げられた後エンドロールにエルガーの「威風堂々第1番」が流れます。
でもピアノで少女が演奏した、結婚行進曲の方がとても印象的ではないかしら。
2月16
Twitterのツイートが“77,777”になりましたので、バレンタインのアイコンを新しい物に変えました。
アイコンのアニメーションに要した時間は、10分間ほど。全くの即興です。
細かくいじってつくったものよりも、勢いがあるって事が力強く感じさせるのでしょう。思った以上に好評で驚いています。月曜日の夜だというのに、返事がいっぱい。
写真と、写真に名前を重ねた画像を6枚ずつ。Photoshopの逆光フィルターは、最後の画像からランダムに加えました。
日頃は全体の流れを考えて、最初の画像から作業するのですけれども面白い結果となりました。
すぐに涙目になるので、ウルウルと見つめていることがあって良く何かを欲しそうな顔をしていると言われていました。
制服のブラウスのリボンがゆるんでることが多くって、背の高い男子たちから見下ろすとわたしが胸を覗かせて見せているように思われていたようです。
中学に入学した頃は胸も大きくなかったので、3年間は大丈夫と言われたけれども夏前にあった出来事から身体の形が急に変わりました。
ウエストは細くなる一方で、スカートがゆるゆるおへそがすぐに出てしまう。
ブラもすぐに会わなくなって、きついのが嫌で体育の時とかその後は外していることがあったのでクラスの女子にはおもちゃにされていました。
やりたいことがあるから、
学ぶことが出来る。
(by 中谷 巌)
学ぶことが出来る。
(by 中谷 巌)
2月15
今、龍馬伝がとても話題になっているから「時習館」をご紹介。
ここで、横井小楠、井上毅、佐々友房が勉強したんですね。
横井小楠が作った私塾「四時軒」のとなりは、横井小楠記念館として資料が展示してあります。
母が生まれ育った家の向かいにあるので、小さい頃から良く前を通っては居ますけれども意識をしていなかったほど周囲にとけ込んでいます。
「龍馬伝」を見ていて良く分かったことですけれども、格式張ったものではないんですね。
それでも、地域に住んでいる皆さんの意識には誇りのように思う空気を感じます。そこから歩いて20分ほどのところにすんでいるわたしの自宅のとなりは農家をされています。野菜を収穫されたり、お米を脱穀している様子に懐かしさを感じます。
そうした半農の家も少なくないので、武家屋敷などはないところです。
次第に住宅街に変わっていますので、なおさらに「四時軒」はとけ込んで歴史的に大切なところという意識が感じられない。近くに食事を出来るところもなければ、コンビニもない。そうした観光、観光していないところが不思議です。半農ではあっても武家の家であったという気持ちが周囲にすんでいる人々にあるのかも知れません。
この「四時軒」がある横井小楠記念館から暫く東に行ったところには、小楠公園があって。今では横井小楠の銅像が建っています。遺髪が埋葬されたことで公園となったそうです。個人の墓としての記念の公園ではないところに神秘なものさえ感じます。
汚してはいけない塚のような意味合いの裏返しなのでしょうか、子どもたちを見守ってくれている公園として遊んだこともあります。記念の銅像は建っていますけれども、子どもたちが自由に遊んでいる様子は面白いものです。
年に一度、近所の者たち、横井小楠を慕う人たちが集まって記念祭を開いています。
横井小楠の孫娘というおばあさんが立ち会って、2時間ほど、お昼前には解散になる小さい記念祭。
「四時軒」とは季節の風景がうつくしいからとつけられたといいます。
四季の変化が見渡せる良いところです。遠くには中学の時に競歩会で登った想い出の飯田山が見えます。すぐ前の川では龍馬が魚を捕ったといいます。
龍馬は、横井小楠を説得するために四時軒にも足を運んでいたそうです。
龍馬がはじめて「四時軒」を訪れたのは勝海舟のお伴としてでした。勝海舟が晩年に、生涯で会った人物で怖いと感じたのは西郷隆盛と、横井小楠と言ったのは知られるところ。
薩長同盟を画策していた頃、坂本龍馬は度々ここに訪れたと言います。その際は隠密のような旅だったので、近くの川沿いに行き来をしていたという話しを母に教わりました。
討幕を推していた龍馬と、公武合体を模索していた横井小楠はなかなか足並みは揃えることは最後に龍馬が四時軒に寄った2ヶ月後に小楠は暗殺をされてしまうので果たせませんでした。でも2人の気持ちは通じ合っていたとわたしは考えます。武士の家の家督を継いだ小楠としては、武家、藩の存続を模索していたのでしょう。横井小楠はこの私塾「四時軒」で“公共”性を教えています。
志は同じだったでしょうけれども、立場というものがありますね。
個々の自由とは言え、今では家族という最もベーシックなコミュニティでさえ細分化されすぎではないかしら。
他人事と観ることも出来るのに、自由平等、公共性を実現させようと行動した横井小楠、坂本龍馬。その大きなもののとらえ方はうらやましく感じる行動であって、その個人を捨てたような活動はわたしにはまねが出来ない。
いつも幕末が大河ドラマで取り上げられると、熊本の歴史を研究されている方たちが賑やかになります。
吉田松陰はかならずと言って良いほど、幕末の知識人として登場しますね。その松蔭たちと坂本龍馬が連絡を取り合っていたのは良く知られていること。
坂本龍馬は神出鬼没な人物だったという印象が、熊本にはあります。
坂本龍馬が江戸と鹿児島を行き来している途中で、度々立ち寄っていたといいます。
熊本の学問の中心だったのが、熊本城内にあった時習館です。
ここで、横井小楠、井上毅、佐々友房が勉強したんですね。
こうした「時習館」のように藩が藩士の子どもたちのために作った学校は藩の塾の他に、個人的に学問を教えたり考えを広めるために人を集めている場が私塾といいます。大河ドラマ「龍馬伝」にも良く出てきますね。
横井小楠が作った私塾「四時軒」のとなりは、横井小楠記念館として資料が展示してあります。
母が生まれ育った家の向かいにあるので、小さい頃から良く前を通っては居ますけれども意識をしていなかったほど周囲にとけ込んでいます。
「龍馬伝」を見ていて良く分かったことですけれども、格式張ったものではないんですね。
それでも、地域に住んでいる皆さんの意識には誇りのように思う空気を感じます。そこから歩いて20分ほどのところにすんでいるわたしの自宅のとなりは農家をされています。野菜を収穫されたり、お米を脱穀している様子に懐かしさを感じます。
そうした半農の家も少なくないので、武家屋敷などはないところです。
次第に住宅街に変わっていますので、なおさらに「四時軒」はとけ込んで歴史的に大切なところという意識が感じられない。近くに食事を出来るところもなければ、コンビニもない。そうした観光、観光していないところが不思議です。半農ではあっても武家の家であったという気持ちが周囲にすんでいる人々にあるのかも知れません。
この「四時軒」がある横井小楠記念館から暫く東に行ったところには、小楠公園があって。今では横井小楠の銅像が建っています。遺髪が埋葬されたことで公園となったそうです。個人の墓としての記念の公園ではないところに神秘なものさえ感じます。
汚してはいけない塚のような意味合いの裏返しなのでしょうか、子どもたちを見守ってくれている公園として遊んだこともあります。記念の銅像は建っていますけれども、子どもたちが自由に遊んでいる様子は面白いものです。
年に一度、近所の者たち、横井小楠を慕う人たちが集まって記念祭を開いています。
横井小楠の孫娘というおばあさんが立ち会って、2時間ほど、お昼前には解散になる小さい記念祭。
「四時軒」とは季節の風景がうつくしいからとつけられたといいます。
四季の変化が見渡せる良いところです。遠くには中学の時に競歩会で登った想い出の飯田山が見えます。すぐ前の川では龍馬が魚を捕ったといいます。
龍馬は、横井小楠を説得するために四時軒にも足を運んでいたそうです。
龍馬がはじめて「四時軒」を訪れたのは勝海舟のお伴としてでした。勝海舟が晩年に、生涯で会った人物で怖いと感じたのは西郷隆盛と、横井小楠と言ったのは知られるところ。
薩長同盟を画策していた頃、坂本龍馬は度々ここに訪れたと言います。その際は隠密のような旅だったので、近くの川沿いに行き来をしていたという話しを母に教わりました。
討幕を推していた龍馬と、公武合体を模索していた横井小楠はなかなか足並みは揃えることは最後に龍馬が四時軒に寄った2ヶ月後に小楠は暗殺をされてしまうので果たせませんでした。でも2人の気持ちは通じ合っていたとわたしは考えます。武士の家の家督を継いだ小楠としては、武家、藩の存続を模索していたのでしょう。横井小楠はこの私塾「四時軒」で“公共”性を教えています。
志は同じだったでしょうけれども、立場というものがありますね。
個々の自由とは言え、今では家族という最もベーシックなコミュニティでさえ細分化されすぎではないかしら。
他人事と観ることも出来るのに、自由平等、公共性を実現させようと行動した横井小楠、坂本龍馬。その大きなもののとらえ方はうらやましく感じる行動であって、その個人を捨てたような活動はわたしにはまねが出来ない。
昨年末に、今年の大河ドラマで坂本龍馬が取り上げられるというので、わたしの地域では署名して欲しいという回覧が回りました。それはNHKで横井小楠を取り上げて欲しいと願うためのもの。33年の生涯だった坂本龍馬でしたから、四時軒へ訪れたことは大きな事だったと思います。
四時軒には坂本龍馬が座ったという場所も分かるようになっています。館長さんの勧めで龍馬の座っていたところで写真を撮ってもらっている方もいらっしゃいます。
はたしてNHKは撮影に来たのかしら。撮影隊が来たという話しも聞かないし、せめて取材だけでも行われていると良いなと思っています。
熊本の歴史を研究されている皆さんは、どれほど横井小楠、坂本龍馬、勝海舟の並んだ姿がどういうやりとりになるドラマになるのかと心待ちにしていることでしょう。
2月11
昨日と、一昨日・・・日付が変わったから、一昨昨日と、一昨日。もとい、火曜日と水曜日は、時折激しい雨が降る熊本でした。
春の嵐だったんでしょうね。通りに出ると掃き掃除をした後のように道路が綺麗でした。
急に暗くなって雷が鳴り響いたりと、長い時間雷さんに囲まれてでも居るようなずっと続くんじゃないかと身をすくめていました。
雷が怖くて、父が夕方になって帰ってくるのが楽しみで木戸から玄関までの20メートルほどをじっと窓から眺めて待っていたことが何度もあります。
そんなある日、稲光の中に人影が動いたのでしょう。生まれてから見たことがないような鬼が玄関に近づいてくるような姿に見えてとても怖くて、深夜に寝ている時に雷の音がすると夢に見るようなことも度々とあります。
今ではまた違って、起きたらおへそが無くなっているんじゃないかと起きたら枕ものとの姿見で必ず全身を確認します。それは十数年前に、火の着いた煙草をおへそで消されたやけどでおへそを無くしたことがあるからなんですけれどもね。
それはともかく、小さい時からわたしがブリッジの練習をしていたり、畳の上をゴロゴロしておへそが出ていたりすると、「おヘソを取られるぞぉ」って父に言われておへそをくすぐられて日が懐かしい。
写真に写っている座布団もとても懐かしいものです。小さい時からのわたし専用のお座布団で、元は赤ちゃんの時に使っていたおふとんだったものです。学校に持って行っていた座布団などではもうウレタンが入っているものが多かった頃。本物の綿だからとても良いんだと大切に使うようにしていました。
小さい時から喉は弱かったから、気を使って両親にかまわれてきました。すぐにわたしの身体を触ってくれていたのは、発疹などをすぐに見つけるためだったようで夏場は天花粉をお風呂上がりにはぽんぽんされていました。
この座布団、高校の時に墨汁をこぼして再生不能になりました。もう、身体も大人になったんだから大丈夫だとお別れをしました。
写真ででも一緒にいた記録になることはうれしいものですね。
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別名めーてる。ほなたり♪毎日クラシック音楽を楽しみ、熊本城稲荷神社に時々出没する元巫女の妖狐。十代の時に熊本の有名なソープグループとの縁を結びました。
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